第65回島根大学ミュージアム市民講座「国司からみた古代の出雲国」を開催

本日午後は、第65回島根大学ミュージアム市民講座「国司からみた古代の出雲国」を開催しました。

今回の講師は、大日方克己先生(島根大学法文学部教授)でした。内容は、古代律令国家のなかで国司とは、具体的にどのような仕事をおこなっていたのかというものです。

国司は、都から地方に派遣されてきた役人で、守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかんの四等官などからなります。仕事の内容は、戸籍や計帳(税徴収のための基本台帳)の作成、租・庸・調の収取などがあります。

出雲国で最初に名前がみえる国司は、708年に任じられた忌部子首(いんべのこびとという人物です。この人は、672年の壬申の乱のとき、大海人皇子方の軍に属しました。また、681年、国史の編纂にもたずさわっています。

また、735年に任じられたのは、石川年足という国司です。蘇我氏の本流で、のちに中納言まで昇進、75歳で亡くなります。
この人は、天平年間の全国的な疫病や飢饉に際し、出雲国での善政が評価されて、表彰されたという仕事のできた人物だったようです。739年、年足が貧しい人々に食糧援助した際の報告書である、天平11年の『出雲国大税賑給歴名帳(いずものくにたいぜいしんごうれきみょうちょう)』(正倉院文書)は、わが国の古代史研究において重要な史料となっています。また、仏教を厚く信仰していたようで、出雲国在任中に写経したものが今に伝わってもいます。

こうした奈良時代の国司は、平安時代にはいると、より責任と権限が増した受領(ずりょうと呼ばれるようになります。出雲国の受領のなかにも、様々な面白いエピソードをもつ人物がいるようです。この話のつづきは、また来年度に期待したいと思います。



次回は、今日のお話の国司が実際に政務をとった場所、国庁のお話です。どなたでも予約なしで聴講できます。ぜひご参加ください。

◆「建物配置・構造からみた出雲国庁の実態」
  講師:大橋泰夫(島根大学法文学部教授・島根大学ミュージアム兼任研究員)
  日時:平成26年2月1日(土) 13:00~14:30
  場所:松江スティックビル(松江市白潟本町43番地) 201・202研修室

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