第69回ミュージアム講座「楊貴妃と安禄山-長安から北京へ-」を開催しました。

 本日午後、第69回ミュージアム講座「楊貴妃と安禄山-長安から北京へ-」を開催しました。

 この講座は、わが国の重要な隣国である中国の歴史・文化について理解してもらう「日本の隣国・中国の歴史・文化を学ぶ」シリーズの第2弾です。

 今回は、東洋史をご専門にされている丸橋充拓先生(島根大学法文学部准教授)に、楊貴妃と玄宗皇帝とのロマンスや安禄山による安史の乱をキーワードにして、唐の時代の中国大陸を取りまく国際関係史についてお話していただきました。
 
 中国の歴代王朝の歴史をみると、唐の時代までは、中国内陸部の長安や洛陽に都がありましたが、10世紀を境に、北京など比較的臨海部に都が置かれるようになります。この背景のひとつには、中国と西アジア・ヨーロッパとの主要な交易ルートが、長安を終着とする「オアシスの道」から、北方の「草原の道」やインド洋・南シナ海を経由する「海の道」にシフトしていったことがあるようです。こうした交易には、ソグド商人やウイグル商人などが活躍しました。現在の北京周辺の節度使で、ソグド人と突厥人を親にもつ安禄山がおこした安史の乱は、こうした北京の時代への移行を先取りするような事件でした。また、安禄山の一時的な政権は、後に勃興する契丹、五代の沙陀王朝、西夏、カラ=ハン朝、カズナ朝、セルジューク朝などの「中央ユーラシア型国家(騎馬軍事力+農民+商人の複合国家形態)」の先駆であったと位置づけることができます。

 唐代の東アジア史をとらえるうえで、安禄山のルーツでもある突厥・ウイグル・吐蕃(とばん)といった国家やソグド人などの評価が、近年重要視されてきています。日本の学界では、中華帝国の域外かつ対等の国家として再評価する潮流が生まれている一方、中国では現代の中華民族内部の歴史の一部として評価されているようです。

 歴史をとらえる際、現代の近代国家の枠組みに規定された一国史観にとらわれがちですが、学界では、これを克服しようとする歴史叙述が模索されているとのことでした。東アジアの歴史の複雑さや面白さ、現代中国が抱える問題まで考えさせられた講座となりました。

 次回の講座は、「宋代・朱子学の誕生とその関連史跡」【7/5】です。ご期待ください。

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