第74回島根大学ミュージアム市民講座「弥生時代の玉・鉄の流通」を開催しました。

 本日午後は、第74回島根大学ミュージアム市民講座「弥生時代の玉・鉄の流通」を開催しました。この講座は、平成26年度島根大学ミュージアム市民講座第3ステージ「出雲における文化交流の歴史」の第1弾になります。

 今回は、当館の会下和宏准教授(島根大学ミュージアム副館長)が、弥生時代の列島各地でみられる玉類や鉄器の流通の様相について講演しました。

 まず前半は、玉類の流通についての話でした。弥生時代の玉類の種類には、主に管玉(碧玉製・鉄石英製・ガラス製)、勾玉(翡翠製・ガラス製)、ガラス製小玉などがあり、首飾りなどのアクセサリーとして使用されました。

 これらのうち、碧玉の産地は、日本列島の各地で想定されていますが、翡翠の産地は、北陸の姫川流域などに絞られるようです。九州北部から関東にかけてみられる翡翠製勾玉の素材は、この地域から一元的に流通したとみる説が有力です。一方、ガラス製玉類は、材料が日本列島の外部からもたらされ、製品は九州から関東まで分布しています。

 以上のように、素材の原産地から遠く離れた場所から、多くの玉類が出土することは、玉類のような奢侈品の場合は、主に消費地の需要に喚起されて、素材や製品が流通したと考えられます。

 後半は鉄器の流通についての解説でした。日本列島から出土する弥生時代の鉄は、主に朝鮮半島南東部からもたらされたと考えられています。半島に近い九州北部では早くから潤沢に鉄器が供給されたのに対して、山陰地域などの本州では、弥生中期後半頃から流通し始め、後期後葉頃に増加していきます。山陰では、原産地から離れていたために、地域のリーダーが舟による鉄の運搬や再分配を管理し、それが首長権を伸長させ、地域が統合されていくことにつながったのではないかと述べました。

 また、朝鮮半島や中国からもたらされた鉄剣や鉄刀のような威信を示す貴重な大型鉄器は、九州北部だけでなく、遠く離れた山陰、北陸、東日本でも多く分布しています。これは、首長層が、自身の身分や権威を誇示するための需要によって、流通したもののようです。

 なお、弥生時代に続く古墳時代になると、「三角縁神獣鏡」が列島各地に分布します。これはヤマト王権が配布したものと考えられています。これも貴重な鏡を流通させることによって、社会が統合されることの一例であるようです。以上のように、文物の流通は、社会の統合を考えていくうえでも重要な要素であると述べられ、講演のまとめとなりました。

 次回、平成27年1月31日(土)は、「横穴式石室にみる古墳時代後期の地域関係~九州・山陰・近畿」です。ご期待ください。

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