島根大学特別講座 in 広島 Part3「掘り出された『出雲国風土記』の世界」を開催しました。

 本日、広島市まちづくり市民交流プラザにて、特別講座 in 広島 Part3「続・古代出雲文化へのいざない」(第2回)を開催しました。
 講師は、来年3月に名古屋で開催される「古代出雲文化フォーラムVI」に登壇される予定の大橋泰夫先生(島根大学法文学部教授)が務められ、「掘り出された『出雲国風土記』の世界」と題して講演されました。
 講演では、奈良時代に編纂された『出雲国風土記』に記述されている内容が、実際に遺跡からどのように見つかっているのかについて解説されました。

 まず、古代の山陰道や隠岐道について、近年の発掘調査の成果から紹介がありました。当時、出雲国の役所がある出雲国府を中心にして、東西方向に山陰道が通り、北方向には隠岐道が伸びていたことが、『出雲国風土記』に記述されています。これらの道が、実際にいくつかの発掘調査現場において発見されており、文献の記述を裏付けています。
 次に、出雲の古代仏教文化についての解説がありました。わが国には、538年(欽明天皇13年)頃、仏教が伝来したとされています。そして、地方に仏教寺院が建立されるようになるのは、7世紀後半頃以降と考えられています。
 出雲国でも寺院が造営されたようで、『出雲国風土記』によれば、奈良時代、11ヶ所ほど存在していたと記述されています。しかし、出雲国府近辺では、出雲国造家によって建立された山代郷南新造院(四王寺)がありますが、720年代頃に造営されたとみられており、他国より30年程度遅かったと考えられています。出雲国は、神社の数が大和や伊勢に次いで多く、律令国家の神祇祭祀において重要な位置を占めていました。このことが、仏教を忌避することにつながり、仏教寺院の造営を遅らせたのかもしれません。
 現在、山代郷南新造院(四王寺)は、発掘調査の進展によって、礎石建物跡が発見されるなどしています。こうした建物が、寺院のなかのどのような施設になるのかについては、今後の継続調査が必要であるとのことでした。
 前回に引き続き、今回もたくさんの広島の皆様にご聴講いただきました。どうもありがとうございました。

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